私はピアノを教え始めて38年以上経ちますが、一番最初に教えた生徒のことを今でもよく覚えています。
彼女(女の子でした)の顔も名前も忘れることはありません。
彼女への感謝の気持ちを忘れることがないように、その時の様子をここに記しておきたいと思います。
お時間のある方は、どうかお付き合い下さいませ。😊
目次
体験談・私が初めての生徒と出会うまで
今から40年近く前。
私は音楽大学付属高校の3年生でした。
往復4時間を超える通学時間と、卒業進級テストのための課題を抱えてあっぷあっぷの日々でした。
音楽高校での過密スケジュールと練習不足
私の毎日の起床時間は5:45。
母はすでに起きていて朝食とお弁当を作ってくれています。
眠い目をこすりつつ朝食をとり、のそのそ準備をして6:30に家を出て駅へ向かいます。
冬場など外はまだ暗く、母はよく人通りの多い道まで送ってくれました。
学校までは3回乗り換える必要がありました。
朝は、所要時間2時間10分。
幸いにも途中、始発電車を利用できたので、ここで睡眠時間を補充。
乗り換え位置を考えながら最短距離を急ぎ、始業時間に間に合わせていました。
授業が終わるのは3時半ごろ。
ちょっと友人としゃべったりしているとすぐに4時近くです。
それから2時間かけて戻ると帰宅は早くて5時半から6時くらい。
ちょっと休んでからピアノの練習をまずは1時間。
夕食後、再びピアノの前に座り、今度は集中して2時間。(防音室でした)
11時半くらいまで練習してから入浴してバタンキュー。
練習時間は毎日大体3時間ほど。
語学の宿題や学科の勉強などは、往復の電車の中で済ませていました。
なかなか過酷な日々だったと言えるのではないでしょうか。😵
当時の母校では、ピアノ科の生徒は毎日5時間以上練習するのは当然という雰囲気でしたので、私の練習不足は否めません。
しかも、「耳子ちゃんが受かったら奇跡」とまで言われた学校です。↓
ちゃんと高校を卒業して大学へ進学することができるのか、毎日不安でした。
「娘にピアノを教えてやってもらえませんか?」
そんなある日。
近くに住むという主婦の方が家に訪ねて来られました。
「こちらのお嬢さんが音楽の学校に行ってらっしゃると聞いたもので。
ウチの娘にピアノを教えてやってもらえませんか?」
ちなみに、『お嬢さん』というのは私のことです。(笑)
今から40年前は、私も『〇〇さんちのお嬢さん』だったのです。(笑)
で、その『お嬢さん』が、『学費が高くて有名な音楽学校に通っている』というのがご近所でウワサになっていたらしい。😅
主婦の方は、その評判?を聞いて訪ねて来られたのでした。
思いもかけなかったお話に、まずはとても面食らいました。
何しろ私はまだ高校生。
アルバイトが禁止という学校ではありませんでしたが、上に書いたように毎日が過密スケジュールでギリギリ。
自分自身のピアノもきちんと練習できていない状態で、よそのお子さんを教えたりなどできるものだろうか。
しかも当然ながら、人にものを教えたことなどありません。
ピアノを教えるといっても、何をどう教えればよいのか、どうすればうまく教えられるのか、見当もつきません。
今と違ってネットのない時代でしたので、「ピアノの教え方」を検索して凌ぐというわけにもいきません。
もしもうまくいかなかったら、私のせいでその子はピアノが嫌いになってしまうかもしれない。
どうしよう。
時間ないし、責任とれないし、やめておこうかな‥
色々と自信を失いかけていた私は、こんな結論に傾きかけていました。
背中を押してくれた両親
その結論に待ったをかけたのが両親でした。
父母そろって、
「何事も経験。やってみればいい。すぐ近所で通いやすいから耳子に頼んできているのだろう。これはご縁というもの。
卒業したらいずれピアノを教えるようになるのだし、勉強をさせて頂くのだと思って少しお月謝の金額を抑えめにしてお引き受けしてみては」
と勧めてくれたのでした。
確かに、ここでお断りしてしまったら、そのお子さんは別の先生を探さなければならないわけで。
それはそれでご負担かもしれませんよね。
それならいっそ、これをご縁と思ってできる限り頑張ってみよう。
せっかくの機会、私などが少しでもお役に立てるのなら‥
そう思い直し、お引き受けすることにしたのです。
生まれて初めてのレッスン
緊張下のごあいさつ
私の最初の生徒であるそのお子さん。
名前をアキコちゃんとしましょう。
彼女は小学校3年生。ピアノ歴1〜2年ほど。
「バイエル」の後半、確か70番あたりを弾いていました。
平日は時間が取れないので、レッスンは土曜日の午後。
最初のレッスン時からお母さんは同伴されず、アキコちゃんは一人で楽譜を抱えて我が家にやって来ました。
まずはは元気よくあいさつをすべきなのですが、とにかく緊張して言葉がでてきません。
「‥‥」
「‥‥」
のような感じでお互いに頭を下げます。
どうやら、アキコちゃんも口ベタなようです。
とにもかくにも、記念すべき第一回のレッスンはこのようにして始まったのでした。
言葉が出て来ない!
まずはイスに座ってもらいました。
すると、足が床に届いていない!(当然です)
イスの高さを合わせると足がぶらんと宙にぶら下がり、不安定なことこの上ありません。
でも私のピアノ室には足台がない。
ドッと冷や汗が出てきたのを覚えています。
半分パニクりながらもなるべく平静を装い、とにかく持ってきてくれたバイエルを弾いてもらいました。
すると、むむむむむ。
①音が違っているところがある ②指が間違っているところがある ③リズムがおかしいところがある ④指ではなく手首を上下に揺らして音を出している
‥‥。
これはマズい。どこから直したものか。
ってか、優先順位は何だろう。
①音 ②指 ③リズム ④タッチ ⑤その他
あれこれ考えているうちに曲は終わり、アキコちゃんは私の指示を待っています。
えーとえーと、あれ、アレ?言葉が出て来ない。
言いたいこと、伝えなければならないことは山ほどあるのに、まるで日本語を忘れてしまったかのように頭の中は真っ白。
あわあわしながら「も、もう一回弾いてね」というのが精一杯の有様です。
素直に再び弾き始めたアキコちゃん。
今から思えば、なんと素直な、教えやすい生徒さんだったことでしょう。
私は幸運でした。
次に彼女が弾き終わるまでに、私は体勢を立て直すのに成功しました。
アキコちゃんは自分が音や指遣いを間違っているのに気づいていない。
ということは、それに気づかせてあげるのがまず第一ではなかろうか。
そう思った私は、まず「片手ずつ、ゆっくりと弾いてね」と声かけをしました。
そして、一つずつ間違っているところを指摘して、何回も一緒に練習するようにしていったのでした。
今に至る、私のレッスンの原点はここにあります。
私は、初めての生徒さんであるアキコちゃんに、レッスンのやり方を教えてもらったのです。
初めての生徒から学んだこと
さてさて、今のお話をお読みになって、どんな感想をお持ちになりましたか?
「‥なんか感心しないなあ。あまりにも慣れていなくて、その生徒さんがかわいそう。」
「それでそのお子さんはどうなったの?もしかしてすぐにやめちゃったんじゃあ‥」
と心配になりますよね。
それが、アキコちゃんはその後5年も通ってきてくれたんです。
無口でクールな雰囲気の彼女は、そのまま淡々と練習を続け、中学2年生で退会する頃にはソナチネが弾けるくらいになっていました。
入会した時と同じように、ある日お母さんから塾通いを理由に退会を告げられ、あっさりと去っていきました。
とても寂しかったですが、これもまた経験のひとつ。
生徒との出会いと別れはこんな風にやってくるのだなあと、自分を納得させることができるようになっていったのです。
アキコちゃんは私に、たくさんのことを教えてくれました。
挨拶のタイミングから、言葉のかけ方、選び方、レッスンに必要なもの(足台など)、教材の選び方、使い方、練習のやり方、曲の仕上げ方‥
すべて、アキコちゃんと2人で工夫しながら、私なりのやり方を組み立てていくことができました。
今の私があるのは彼女のおかげです。
アキコちゃんこそが私の先生だったのです。
もしもどこかで会うことができたなら、心の底からお礼を言いたい。
そう感じています。
この記事を読んで下さっているあなたが、もしピアノの先生の卵だったなら。
あなたの最初の生徒さんは、あなたにとって生涯忘れられない存在になるということを、ぜひ覚えておいて下さいね。
あなた方の出会いが、お二人にとって幸福なものとなるように祈っています。
お読み頂いてありがとうございます。